ゲームで子供達に勉強を、って話をすると、結構な確率で「それはゲーゴー(迎合)だ!勉強はつらいのを頑張るから意味があるんだ!」と返ってきます。(特に年配の人に多いですが、意外と若い人でも)
が、問い返してみると、その発言に「気分」以外の中身が入っていたためしがありません。それだけにタチが悪いのですが…。エライ人に限ってそうなんだよなぁ。
「つらい経験」「苦しい体験」それ自体は、決して人間を成長させません。それらを「乗り越えた」経験の蓄積が人に自信と成長をもたらし、「乗り越えられなかった」経験の蓄積は自信の喪失と萎縮をもたらします。
自己評価の高い人(自信のある人)は、成長後に思わぬ壁にぶつかっても、さらに言えばその壁をなかなか乗り越えられない経験をしても、簡単には折れませんが、逆の場合は壁を見た時点であきらめてしまうように、下手をすれば壁の見える所にまで近づこうとさえしなくなります。
ゲームの形をとろうがとるまいが、そこで行われるのは学習です。課題は課題、「壁」であることには違いありません。ただ、その壁には「とりあえずチャレンジしてみようぜ!」と書いてあります。そして乗り越えた時には、壁自身が「やった!すげぇ!やるなぁお前!!」とほめてくれます。その違いです。
エライひとに限って・・・と書きましたが、それも当然のことで、エライ人はなんだかんだと「乗り越えた」経験をつむことができた人、それによって「高い自己評価」を得ることが出来た人だからです。そういう人の目には「つらいの」は、はなから「乗り越えられる」ことを前提としたものとしてうつっています。
繰り返しますが、「つらい経験」それ自体は何のプラス要素も持っていません。しかし、「たのしい経験」にはそれ自体にプラスの価値があります。(これについてはまた改めて。)
ゲーゴーの何が悪い!