「脱やる気」でやれる自分に近づく(2)

こんにちは、まなゲー池田です。今日は「脱やる気」シリーズの2回目。
前回、私たちの「意識」(意思もここに含まれます)は、株式会社ジブンの社長ではなく、野生丸出しのワンマン社長「無意識」さんの、広報担当程度の存在でしかないというお話をしました。自由意志を尊奉する現代に育った私達にとって、極めて不快な事実です。しかし、これを受け入れることが「脱やる気」への第一歩となります。

はびこる「やる気原理主義者」

なんでもやる気のせいにする人のことを、僕は「やる気原理主義者」と呼んでいます。すぐに「やる気があるのか!」「やる気が足りてないからだ!」みたいなことを言い出す人たちです。いっぱいいますね。特に何らかの意味で「指導者」と呼ばれる人に多いのですが、これはなぜか、その人たちにとって「簡単で都合が良い」からです。

見ることも測ることもできない「やる気」なんていう謎なモノを持ち出して、他者の行動や結果の欠点・不備を指摘し、「やる気がないからだ!」とか「やる気が足りないせいだ!」とか、そんなのはバカでもできることです。

そんな人ばかりなのは、結局その人たちが、「なぜやれるのか・なぜやれないのか」について本質的なことは何も知らないからです。宗教的な原理主義者が、分からないことや不合理をなんでも神さまや信仰のせいにするのと同じです。

やれる・やれないを全て「やる気」の問題にしてしまえば、行動の不足も工夫の不足も全て「当人のせい」にすることができます。指導者としてこんなに楽なことはありません。

結局「やる気」ってどんくらいのもん?

株式会社ジブンが「無意識」社長がなんでも勝手に決めてしまうワンマン会社だとわかれば、「やる気」の正体も見えてきます。

意識広報は、決定権はないものの、「やるべき(なのに)」とか「やったほうがいい(のに)」などと、懸命に考えています。

無意識社長が意識広報の考え通りのことを「やる」と決めたら、意識広報は「やる気出た!」と内外に向けて説明し、「やらない」と決めたら「やる気出ない・・・」と説明する。「やる」の源泉が「やる気」であるという考え方とは真逆になってしまいますが、どうもこのあたりが事実に近いようです。

「負のやる気」についても考えてみる

やるべきと思っていることができないのと同様に「やめたほうが良い」「やってはいけない」と思っていることを、やめられない、ついやってしまうというのも、また我々の日々の現実であります。人間の意思(意識)がいかに小さな声しか持たないか、ということを考えるには、こちらのほうがむしろすっと理解できてしまうかもしれません。

そういう時、私たちは自分の内外に向けて、なんとか理由をこじつけようと努力する羽目になります。言い訳ですね。「やめなきゃ」と思っていることをしてしまった場合など、そこにまともな理由などあるわけがないのですが、なんとかこれをこねくり出そうと努めてしまうのが、意識広報さんの悲しい習性です。

やる気 → やれる は偶然の一致に過ぎない

こう考えてくると、「やる気」と称されるポジティブな感情は、実は、意識広報さんの「やるべき」と一致する決定を、たまたま無意識社長が下してくれた、その時に感じる良い気分をそう呼んでいるだけなのではないかという感じがしてきます。

妙な言い方に聞こえるかもしれませんが、つまり、「やる気出た!」もまた、無意識社長の決定に対する一種のこじつけ、後付けに過ぎないということです。

意識広報の考えと、無意識社長の決定の傾向がうまい具合にあった場合「自分にはやる気がある。だからやれる」と、逆にずれてしまった場合「自分にはやる気がない(足りない)からできない」と感じる場合が多いわけですが、それらは実は空想の産物にすぎないというわけです。

従来の「やる気」に近いもの

「やる気出た・やる気でない」がともに、「やる・やらない」決定に後付けされた情報でしかないとすれば、これまで「やる気」と呼ばれてきたものに一番近いものは何か。それは意識広報さんのか細いつぶやき「やったほうがいい」「やめたほうがいい」だということになるでしょう。

「やる気が足りない」から自由になる

言い換えると、「やるべき」「やらなきゃ」「やめるべき」「やめなきゃ」この気持ちが意識にあれば、それは「やる気」はある、ということになります。そして、「ある」さえ満たせば、もうその量や強さは問題ではありません。

くり返します。もし何かに対して「やらなきゃ」という思いがあるなら「やる気」はもう充分です。やる気は「ある」のです。

今「やれて」いようがなかろうが、それはもう「やる気の問題」ではありません。やる気の有る無し、足りる足りないから自由になって、どうやってあのワンマン社長を思い通りに動かしていくか、それを考えていくことにしましょう。

やる気があるとかないとか、出るとかでないとか、そんな無駄な考えから、今日自由になりましょう。

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