11月中旬。紅葉を背景に咲く、狂い咲きの桜。
美しく咲いても決して実を結ばないこの花から、僕らは何を学び得るだろう。
より早く、より高くと育てた大切な若芽が、見事な花を咲かせたその先には、苛烈な冬が待っているかもしれない。
花を咲かせることに、全力を振り絞ってしまったら、どうやってその冬に耐えられるのだろうか。
選択と集中は、ハイリスクな賭けだ。まばゆい成功例の足元に無数の屍が転がる。
子ども時代は、いつか当人が賭けに身を投じる日に向けて、じっくりあちらこちらへ根を伸ばす時だと思う。
どれほど甘美な成功も、一瞬後には幸福を減じてしまう。
より大きな成功だけがもたらす一時の至福を追い続ける。
そんな一生が冬のような生き方を我が子にして欲しいとは、僕には到底思えない。
僕は雪国の人間だから、冬の凜とした美しさはもちろん、それが他の季節をより美しくしているであろうことも知っているつもりだ。
けれど、冬がなくとも生き物は育ち、花を咲かせ、実を実らせる。冬なんてただのオプションだと思う。
もちろん、傍目にものすごくキツそうに見える積み重ねの日々が「冬」であるか否かは、当人次第であるけれど、その道へは、しかるべき日に、自ら選びとって踏み込むべきなんだ。
親の仕事は花を咲かせようとすることではなく、時に助け、時に突き放しつつ、しなやかで折れない強さを育てることだ。
改めてそう思う出会いだった。