アナと雪の女王:父ちゃんがムスメと語りたいこと

こんにちは、まなゲーらんど 池田です。
先日、ムスメ(5)と二人で「アナと雪の女王」を観てきました。僕は初めて、彼女は3回目(!)。

リラックスして楽しく観られましたが、やはり、というかいわゆるジェットコースタームービーですので、幼児の頭は、その場面場面を愉しむので一杯いっぱいだろうなーとも思いました。
それではもったいないので、これをネタにまた二人で、あるいは家族みんなで色々語り合ったりしたいと思うわけです。以下、ネタバレを含みますのでまだこれから見る予定の方はご注意を。(といっても大体の筋はなんかバレバレになってますよね。この映画(笑))

さて、この映画、なにかと「真実の愛」ですが、アナと雪の女王におけるこの「真実の愛」ってどういうものだったのでしょう。
エルサの魔法を心に受けて全身が凍りはじめたアナ、これを溶かすものは「真実の愛」だけである、という展開ですが、はじめそれをハンスに求め、ついでクリストフに期待し、でも結局、窮地にあるエルサを救うためにわが身を投げ出したことによって魔法が解ける訳です。しかし、考えてみると、これだけではちょっと浅すぎないか?という感じが残ります。(身内の為に命を投げ出すということを実際に実行できるかどうかはおいて、物語の中心として、ということですが)

アナは「求めるもの」です。受け入れられたい、愛されたい、という気持ちに足が生えて走り回っているような女の子です。「エルサを助けなきゃ」と言って後を追いますが、やってること言ってることは一貫して「~して!」ばっかりです。その彼女がついに・・・というのはそれなりに劇的ではありますが、考えてみるとこのお話には、極めて受容的で献身的な存在が既に登場しています。そう、オラフです。

夏にあこがれる陽気なゆきだるまオラフ。序盤「ゆきだるまつくろう」の歌にもみられるように、この物語においてゆきだるまは、アナとエルサ姉妹の心の通い合いの象徴です。幼い二人が魔法で雪遊びを楽しむ場面でもエルサは「オラフ」をつくっていますが、こちらのオラフは心を持たないただのオブジェクトのようでした。ではなぜ、後にあらわれたこのオラフは、心を持ち、しかもあんなにもアナに対して受容的かつ献身的だったのでしょうか。これはエルサが生み出したもう1体のゆきだるま(?)、エルサの「こばむ気持ち」のアバターである雪の巨人と対置されることで分かりやすくなっていますが、オラフこそは、エルサのアナに対する、寄り添いたい気持ち、受け入れたい気持ち、支え守りたい気持ちの化身であるからです。巨人との違いは、巨人は拒絶を「込めて」作られたのにたいして、オラフにはエルサの心が「宿った」感じなところ。

ハンスに見捨てられ今にも息絶えなんとしているアナを助け、ゆきだるまの身で暖炉に火をともしながら「アナのためなら溶けてもいいよ」と平然と言い放つオラフは、物語の真のヒーロー(名前からしてたぶん男なので)でもあります。エルサの、アナを大切にしたい傷つけたくないという気持ちの「伝わらなさ」もこの物語の最重要要素のひとつですが、オラフとなったエルサの愛は、(ハンスをして野望の暴露に踏み切らせたほどに)衰弱しきっていたアナに、立ち上がり、最後の冒険へと向かえるだけの力を与えています。しかし、あくまでアバターにすぎないオラフには凍らんとするアナの心を完全溶かすまでの力はありません。

そしてオラフによって支えられ導かれたアナが、(まだクリストフになんとかしてもらおうとか思ってますが)襲われるエルサをかばってハンスの前に立ちはだかる。氷像となったアナにすがって泣くエルサ(凍ってしまったアナだからこそ抱きしめるが可能だった)。この時、姉妹の心がついに「通った」のだと思います。

とまぁ、ごちゃごちゃ書きましたが、父ちゃんはムスメとオラフの話がしたいのでした。一緒に歌うのも楽しいけれど。

ハンスのことや父王のことも書きたいけど、また今度にします。

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