人々を不安と恐怖で縛り、服従を強要し、 従わないものは迫害し、容赦なく罰をあたえ、 従順であっても能力不足とされたものはバンバン切り捨てる。 ゆえに、従うものもまた常に不安を免れ得ない。 それは従順かつ評価の高いものにとってさえ同じである。
まるでゲームやファンタジー小説における「魔王」のような、 はたまたクラシカルな時代劇における「お代官様」のような存在。
子ども達にとって今、「勉強」はこういう存在。※ もちろん本来はそうじゃなかったはず。でも今は「勉強魔王様」で「お勉強様」 こいつと上手に付き合っていけというのは、なかなかハードな要求だ。
大人になって「お勉強様」から解放されたとたん「学び」の楽しさに目覚めるのは偶然じゃない。(誰かがついに目覚めないとして、それもやはり偶然じゃない。)
僕は、大人として、親として、子ども達に「魔王様に気に入られるようにがんばりなさい」とは言いたくない。絶対に言いたくない。 でも「勉強なんてしなくていい」ではダメだ。それでは、成長前につぶされてしまう。
必要な力を身につけ、「お勉強様」に使われるのでなく、それを「手段」としてこき使うようになるその日まで、子ども達を「お勉強様」から守り育てねばならない。
対抗できる力がつくまで、逆に相手を組み伏せる力がつくまで、「乗り切る」術を、そのための武器を、防具を、用意したい。
※そうじゃない学校、そうじゃない教室、そうさせない先生の存在は否定しないが、「普通」じゃない。