子供向けの学習ゲームをつくっていながら、我が家には現在就学年齢の子供がおりません。(0歳児ならいますが・・・)なので、放っておくと、今時の子供たちがなにに熱中し、どんな遊びをしているのかが見えなくなってしまいます。そこで、例えば子供向けのマンガ雑誌なんかを買ってきて読んだりもするのですが、先日は「別冊コロコロコミック」を読みました。
まぁ、なんといっても驚くのは、おもちゃやゲームなどとの所謂「タイアップ」ものの占める割合がすさまじく高いこと。しかし、これをけしからんなどと言うつもりは全くありません。
経済の問題としてみれば、子供たちも立派な消費者で、子供たちの時間のどれだけを、それで遊ばせるか、そのことを考えて過ごさせるか、ということが家計からオカネをどれだけ引き出せるか、ということに直結してきます。子供をとりまくあらゆるメディアや遊びは、この「時間」の奪い合いに大量の投資をおこなっています。その1つが「タイアップもの」コミックとしてあらわれているということだと思います。
また、こうした取り組みの重要なポイントのひとつとして、その遊びに「強い」こと「詳しい」ことが、「カッコイイ」「ステキな」ことであると認識させること。というのがあると思います。この価値形成に成功すれば、みんなこぞってその遊びに取り組むことになり、製品の市場価値が飛躍的に伸びるというわけです。
翻って、我らが「勉強」にはこういった努力、少なくともその成果と思われるものはまるで見当たりません。。。
勉強ができる子は、何十年も前から相変わらず悪者か主人公の引き立て役と相場は決まっていて、たまに、勉強「も」できる知性派ヒーローがいても「勉強」そのものは彼の魅力のもととしては扱われません。
勉強が「できる」のがカッコイイ、でなくて良いと思うのです。いや、さらにゆずって「できる」子キャラは今後も引き立て役でもよしとしましょう。ただ、難しいものにがんばって取り組んで、それを身につける、という意味で「勉強をがんばる」ことはカッコ良くあってほしいと思います。そもそも、とてつもない困難の連続に直面して、それを見事乗り越えてみせるマンガやアニメの主人公達が、学校の勉強程度の課題から逃げ出してしまうような状況は、本来は不自然なハズなのですが。。。こう書いている私自身が、大活躍のあと机に向かって宿題をしている主人公という絵にはやはり多少の違和感を感じてしまいます。なぜ、そういうキャラクターが魅力的という型ができてしまったのでしょうね。
とても魅力的で、大活躍で、でも勉強もがんばっちゃうカッコイイ主人公がでてこないかなぁ。(なんにでも全力投球の不器用なキャラというのは過去にも結構良いのがいますね。今もいるのかな。)
勉強も子供たちの「心を得る」ことを真剣に考えなければならない所に来ているように思うのです。