当サイトで提供しているような学習ゲームをさして言う言葉に、「エデュテインメント」というのがあります。
これはエデュケイション(教育)とエンターテイメントを併せた造語ですが、個人的にはこの言葉があまり好きではありません。長くて・硬くて・難しいからです。
私が、サイト上のゲーム群を作成するにあたって、常に考えていることは、一言で言うと「どうしたら、少しでも長い時間、このゲームと向き合ってもらえるか」ということです。現代の子供達は多忙です。それに加えて、少ない空き時間を狙って様々なメディアが子供達の時間の「奪い合い」をしている状態にあります。
このような環境にあって、勉強だけが「時間を割いてもらって当然」という態度をとるのは間違いです。例えば、ある子供が、学校へ来て授業中に、昨日みたテレビ番組のことを考え、その続きがどうなるかということに完全に心を奪われていたとすれば、その時間は「勉強」の時間ではなく「テレビ」の時間なのですから。勉強・教育はいかにして子供の心をつかむかということを真剣に考えなければなりません。
学習ゲームの作成・普及は、「ゲーム」という既存メディアの中に「教育」を割り込ませようとする行為です。ならば、まずはこのメディアの中になじむことが肝要です。子供は直観的な判断力に優れていますから、中途半端な態度はすぐに見透かされてしまいます。いくら言葉の上で「ゲーム」と謳っていても、パッとみて「あ、これは問題集」と思われてしまえば、それはゲームではない訳です。
私が、乏しい制作・運営資金の中で、あえてキャラクタのビジュアルやアクション、BGM・効果音などの要素に注力しているのは、この考えがあるからです。結果として、ある程度「ゲーム」としてみてもらうことに成功しています。(あくまで、「ある程度」である自覚もまたきちんと持っていますが。)
そこで、ジャンルとしての名称の話に戻ります。 子供に限らずゲームを楽しむ人たちは「~ゲー」という表現をよく使います。「格ゲー」「落ちゲー」などのジャンルをあらわす言葉から、つまらないゲームをさす「クソゲー」まで様々ですが「クソゲー」と言う時ですら、ゲームというメディアそのものに対しての愛情がこもっているように感じられます。さて、ここへ件のエデュテインメントを持ち込んだとして、どうでしょう?エデュゲー?そもそもデュというのが発音しにくいのがかなりのネックですし、やはり非常に硬い印象がぬぐえません。
昨今の、「大人の~」シリーズのヒットでリアルゲームという表現もそこそこ普及してきましたが、これもちょっと生生しい感じがしますし、略称化するまでにはいたっていないようです。
ゲームの中の1ジャンルとして、学習ゲームがうけいれられていくためには、呼びやすく・親しみやすい呼称が必要であると考えます。と、ようやくタイトルの内容にたどり着いた訳ですが、「まなぶ」ゲームで「まなゲー」というのはどうでしょうか。のばし抜きで「まなゲ」などでも構いませんが。
あるいはこれを媚であると考える教育関係者があるかもしれません。また、何と呼ぼうが勉強は勉強、と拒絶する子供達は、きっとたくさんいることでしょう。しかし、私は媚びて勉強に興味をもってくれる子供が増えるなら、それで良いと思います(なにしろ、少なくとも一部の子供達の生活において勉強はもはや「見捨てられ」ているのですから)し、拒絶される原因は勉強そのものにではなくどこまでもアプローチ方法と技術にあると考えます。
まずは選択肢に入らなければ、それは存在しないのと同じなのです。