貨幣経済に対する根本的な問い直し。面白かったー。
これを読んで以降、意識してるつもりはないのだけど、あちこちで貨幣経済に関する問い直しの話題が目に付きます。無意識的に探しているのか、増えているのか、どちらなのでしょうね。何か行動を起こすかどうかはともかくとしても、あまりにも自明のものと見なしてしまっている貨幣経済について、本質を考え直してみる事は絶対に必要だと思いました。良い悪いでなく、「何なのか」ということです。
貨幣経済に対する根本的な問い直し。面白かったー。
これを読んで以降、意識してるつもりはないのだけど、あちこちで貨幣経済に関する問い直しの話題が目に付きます。無意識的に探しているのか、増えているのか、どちらなのでしょうね。何か行動を起こすかどうかはともかくとしても、あまりにも自明のものと見なしてしまっている貨幣経済について、本質を考え直してみる事は絶対に必要だと思いました。良い悪いでなく、「何なのか」ということです。
最近、読書量が急増しています。じっくりと考えたい事があって、時間をとって、うーーーーん、と考え込むのですが、そうすると、気になること(本題の考えるために必要そうなものも、そうでないものも)が一杯出てきて、そうなると関係のありそうなツィートやニュースが眼に留まりやすくなるし、書店へ行っても気になる本が多くなる。というので、まず1段階目の読書量増が起こる。
で、それらをせっせと読み漁って、ひと段落つくと、考えたい事がさらに増えて、読みたい本もそれにあわせて・・・と、キリがないのですが、一方で、最初に考えていた事についても、ちゃんとそれなりに深まっていっているようです。もし途中で最初のテーマについて考えなくなっていくなら、それはきっとそんなに重要じゃないテーマだったか、優先順位が下がってしまったか、なので、それはそれで構わないのかと。
いずれにしても「もう少し速く読めたらいいのに」と思う今日この頃であります。
小中学生によるアカウント詐取事件などが続発していたアメーバピグにおいて、ついに、15歳以下のユーザーへの機能制限が発表されました。(実施は4月24日からの予定)
ざっくりとまとめると、15歳以下のユーザーは、他のユーザーとの会話やアイテムのやりとり、互いの部屋への行き来など、コミュニケーション関連の機能が全て使用できなくなります。自分の部屋や庭で出来る機能が残されているとはいえ、実質的には15歳以下ユーザーのゲームからの排除と言えるでしょう。
アメーバ スタッフブログの該当記事
http://ameblo.jp/staff/entry-11190844466.html
発表を行ったスタッフブログ記事に、膨大な量の反発コメントがつくなど、今後のソーシャルゲームと未成年者の関わりを考える上で、展開を注視せねばならない事例だと思います。
「もっと勉強しなさい」が、口癖化している人も多いと思いますが、改めて言われる側になって想像すると(あるいは思い出すと(笑))、何をするのやらさっぱりですよね。
もし「クリアしなさい」と、ひたすら連呼されるゲームがあったら、クリアまで到達できる人は殆どいないでしょう。
「何を」「いつまでに」「どれだけ」というのは、課題においてもやはり必須の情報です。「がんばる・がんばれ」と言う言葉は、その意味では大変安易で不親切なものだということを、時々振り返ってみるべきでしょう。
娘(もうすぐ3歳)がいるので、毎日絵本を読み聞かせするのですが、家にある分だけですでに200冊を超えました。図書館で借りたのや、出先で読んでやったのを含むともっともっと増えると思うのですが、先日はじめて「これはアカン」と、途中で読み聞かせをやめてしまった絵本がありました。
それが「象のババール」だったのです。
キャラクターは以前から知っていて、勝手に内容を想像していたのですが、呼んでみてびっくり。あまりに露骨すぎる帝国主義のプロパガンダ本でした。
密猟者に母親を殺されたババールが、逃げ惑ううちに街へたどり着き、第一声が「にんげんって ふくをきて すてきだなあ ぼくもひとつ あんなのを きてみたいもんだ」。この時点で?が頭を飛び回ります(その、街から来たヤツにお母さん殺されちゃったんだよ?ババール)が、さらに、金持ちのばあさんに拾われてババールは贅沢三昧、西欧式の教育も受けて、すっかり「文明社会」になじんだババールが、自動車にのって象の村に凱旋、どくきのこを食べて死んでしまった王様(こっちの王様は裸、他の象たちも裸)の後をついで(別にババールは王子ではありません)、王座に着きました。盛大なパーティ。めでたしめでたし。って、なんじゃそれ。
不可解も荒唐無稽も風刺も歓迎ですが、これはちょっとないんじゃないでしょうか。ババール恐るべし。
デジタル・ヴァーチャルじゃなくても、リアル事業でもフリー化可能だというお話。
読みながら膨らんできた「リアル・フリー学習塾」妄想、もとい構想について、少し考えてたり調べたりしてみました。
例えばフランチャイズの学習塾(小学生向けだと学研とか公文など)のロイヤルティ収益比の高さなどにはちょっと驚きました。が、教材もらって、看板も借りて、ですからね。ゼロからの学習塾立ち上げを経験した身からいうと、「ブランドを買う・借りる」というのは相当虫のイイ発想でして、それぐらい取られて当然の話、ではあります。
しかし、FCはなんでもそうですが、「本部が儲けすぎ」感があるのは事実。本部が負担しているのは要するに、教材提供と集客支援(CM)ですから、これのコストをズンズンズンと圧縮して、先生の仕事もギリギリまでシステム任せにできる状態を作れれば・・・。
うーん、あり得るのかもしれない。以前の投稿で書いたように、家計に占める教育費の割合はかなりのものになっているので、こいつを何とかして、生活全般の充実に振り向けられれば・・・。いつか真剣に考えてみたい課題です。
レポート・トークとラポール・トーク、いずれも会話をさす言葉ですが、前者が報告、つまり用件を端的に、効果的に伝える事を目的とした会話であるのに対して、後者は、会話の「過程」を重視し、リラックスした時間を共有する事を主目的とした会話です。
何かと速度が求められる昨今にあって、家庭内での会話まで、ついつい、レポート・トーク的になってしまっていませんか。夫婦間では、よくこのトーク観の違いによる齟齬が見られますが、親子間でも、こと勉強の話題になると、レポート・トーク的になってしまいがちなのではないのでしょうか。ふたつのキーワードを頭のどこかにおいておくだけでも、会話の雰囲気が変わってくるかもしれませんね。
中田宏さん(前横浜市長)の「政治家の殺し方」を読みました。
行財政改革を断行した結果、多方面の恨みを買いスキャンダルまみれ(裁判になったものは後にすべて勝訴)にされた苦闘の日々がつづられています。
最後の方で出てくる「政治が嫌いだから政治家になった」だからギャップを感じたり(いまさら失望したり)しないという一説が印象的でした。そういう意味では「子供の時からずっと先生になりたくて」というタイプの先生が打たれ弱いのも頷けます。起点が「憤り」か「憧れ」かというのは起こすアクションに非常にに大きな違いを生みそうです。
「憧れ」発、「失望」「憤り」「再評価」経由、「発奮」行き・・・と行ければ良いのでしょうが、難しいかな。
津田大介さんの「情報の呼吸法」を読みました。
ソーシャルメディアで情報を発信することで、個人でも大きなムーブメントを起こせるというお話がメイン。昨今、子供でもソーシャルメディアを使ってますが、ノウハウ以前に、そうなんだよ、ってことをなるだけ早い年齢で知る事ができると良いな。
「今週の一冊」でこの本を紹介しました。
ネットセミナーの「ヒメル・リッリ」さんで、概ね月1回ライブ・セミナーを実施させていただいています。
次回開催の日時と内容は以下の通りです。
【日時】3月21日(水)13時~
【内容】「家庭でなおす『勉強ぎらい』」というテーマで続けてきたこれまでの内容を総括しつつ、「やる気の守り方・育て方」に注力してお話します。
これまでの7回分の録画も視聴可能ですので、興味をお持ちになった方は、ぜひご覧下さい。
ヒメルリッチさん
このセミナーのページ
http://www.himmel-rich.com/lessons/info/4f4c33e0-e9fc-47df-ba58-714d0a9c8514