我々の脳は、例えば目の前の他人が身体的な苦痛を与えられているとき、またはそれを和らげるような行為をうけているとき、実際にそれを感じているのだという話を聞きました。それを自覚しないのは、自らの触覚からの情報が「それは、あなた自身に起こった事ではないよ。他人のことだよ。」という情報を伝えてくる事で遮断されているからであって、怪我や、麻酔による一時的な感覚の喪失などにより、その上書き情報が断たれれば、上記の苦痛や緩和を自らの身に起こったもののように自覚することが出来るのだそうです。
こんな話を聴くと、情報化の進展による、動画コンテンツの急速な増加が、我々の共感にもたらす可能性の巨大さを考えずには要られませんね。遥か離れた場所で起こっている悲しい出来事について、動画を通して、まさに自身に起こった事のように共感できるならば、それはとてつもなく大きな変化を生み出しうるのではないでしょうか。
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アメリカの話ですが、テキサス州では、子どもが学校で携帯電話をカバンなどから取り出すたびに罰金15ドルなんだそうです。
僕が中学生の頃、月のお小遣いが大体そのくらいだったので(本代を除く)、1度の摘発でその月はスッカラカンです・・・。とりあえず「持って行かない」以外に対応のしようがないですね。
いや、学校で携帯電話使っちゃダメだよという指導自体は理解できるのですが、それを行政が刑罰つきで強制するというのはまた全然次元の違う話です。しかも「取り出したら」ですからね。行政が市民を、子どもを、どのように捉えているのかと言うのが端的に現れてしまっているのではないでしょうか。実際にはほぼ運用されていないトンデモ法の類なのかもしれませんが、議会がそれを成立させたという時点でもうね。
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市場経済において、スペックが明確化可能なものはヒト・モノ問わず全て陳腐化することになります。
そうなると、日々せっせと子ども達にプレッシャーをかけて身につけさせている、現在の学校教育において重視されている「学力」というものは、確実にその範疇に入る(センター試験や私大入試試験など、マークシート式の試験を考えてもらえば、これが如何に明確にスペック表示できるものかお分かりいただけるでしょう。)わけです。
ですから、その「それ自体は確実に市場において陳腐化して、それ自体はさして助けにならないもの」を今扱っているという事を自覚した上で、我々大人はこれに取り組まねばなりません。それはつまりどういうことか?現行のような子どものリソース(時間や体力)の多くをこれに割かせるようなやり方でやっていたのではいけないということ。一言で言えば「チャッチャと片付け」なければいけないと言うことです。
サイト理念でも語っているように、「道具」として「素材」としての基礎学力には非常に重要な意義があります。しかしその意義は、あくまで「手段」としての意義だということです。食事に例えれば、道具と素材を準備しなければ、当然御飯は食べられません。しかし、あまりに多くの時間をこれに取られてしまっては、調理も摂取もままなりません。これでは生きていかれません。まして、おいしくて、食べやすく、食事の時間が素晴らしいものになるような「料理」に仕上げようと思えば、かなりの時間をそのために残しておかなければなりません。もちろん、のんびりと横になって、しっかり「消化」するための時間も必要です。
少なくとも大人は、このことに自覚的でなければならないと思うのです。
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最近、新しく人と会う機会が増えたので、まなゲーらんどに関する「こんなことやってます」チラシを作る事にしました。
名刺だと情報量が全然たりなくて、短い時間で伝えられないし、本当にご挨拶程度の時間しか取れないことも多いので、とりあえず渡してしまう。特に懇親会のような場では、周りの人も、色んな人と知り合ったり話したりしたいでしょうし、その中で僕の活動に関心があるかどうかも分からない人を長い時間つかまえるというのは、相手の時間を大切にしないことでもあるので、名刺プラスα(αにしては情報量が大きいですが;;)としてお渡ししてしまうことに。
で、実際に作ってみると、まっさきに伝えたい事というのをまとめなければいけないわけですが、A4いちまい、名刺に比べれば圧倒的にひろいはずのこのスペースに、案外まとめられないものです。そりゃ話も長くなるというものだ・・・。作りながら伝えたい事も整理され、初対面の人にその場で話すにはキツいけれど、興味をもってくれた人が後から読んでくれたらいいなというレベルのことも、敢えて書いておくべきだと分かったり、自分の取組みについて少し頭のなかを整理することが出来ました。
とりあえず第一弾を作成、発注したので今週中に手元に届く予定。作ったからには、配るぞー!
それにしてもチラシの印刷って安くなったなぁ。
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貨幣経済に対する根本的な問い直し。面白かったー。
これを読んで以降、意識してるつもりはないのだけど、あちこちで貨幣経済に関する問い直しの話題が目に付きます。無意識的に探しているのか、増えているのか、どちらなのでしょうね。何か行動を起こすかどうかはともかくとしても、あまりにも自明のものと見なしてしまっている貨幣経済について、本質を考え直してみる事は絶対に必要だと思いました。良い悪いでなく、「何なのか」ということです。
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最近、読書量が急増しています。じっくりと考えたい事があって、時間をとって、うーーーーん、と考え込むのですが、そうすると、気になること(本題の考えるために必要そうなものも、そうでないものも)が一杯出てきて、そうなると関係のありそうなツィートやニュースが眼に留まりやすくなるし、書店へ行っても気になる本が多くなる。というので、まず1段階目の読書量増が起こる。
で、それらをせっせと読み漁って、ひと段落つくと、考えたい事がさらに増えて、読みたい本もそれにあわせて・・・と、キリがないのですが、一方で、最初に考えていた事についても、ちゃんとそれなりに深まっていっているようです。もし途中で最初のテーマについて考えなくなっていくなら、それはきっとそんなに重要じゃないテーマだったか、優先順位が下がってしまったか、なので、それはそれで構わないのかと。
いずれにしても「もう少し速く読めたらいいのに」と思う今日この頃であります。
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小中学生によるアカウント詐取事件などが続発していたアメーバピグにおいて、ついに、15歳以下のユーザーへの機能制限が発表されました。(実施は4月24日からの予定)
ざっくりとまとめると、15歳以下のユーザーは、他のユーザーとの会話やアイテムのやりとり、互いの部屋への行き来など、コミュニケーション関連の機能が全て使用できなくなります。自分の部屋や庭で出来る機能が残されているとはいえ、実質的には15歳以下ユーザーのゲームからの排除と言えるでしょう。
アメーバ スタッフブログの該当記事
http://ameblo.jp/staff/entry-11190844466.html
発表を行ったスタッフブログ記事に、膨大な量の反発コメントがつくなど、今後のソーシャルゲームと未成年者の関わりを考える上で、展開を注視せねばならない事例だと思います。
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「もっと勉強しなさい」が、口癖化している人も多いと思いますが、改めて言われる側になって想像すると(あるいは思い出すと(笑))、何をするのやらさっぱりですよね。
もし「クリアしなさい」と、ひたすら連呼されるゲームがあったら、クリアまで到達できる人は殆どいないでしょう。
「何を」「いつまでに」「どれだけ」というのは、課題においてもやはり必須の情報です。「がんばる・がんばれ」と言う言葉は、その意味では大変安易で不親切なものだということを、時々振り返ってみるべきでしょう。
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娘(もうすぐ3歳)がいるので、毎日絵本を読み聞かせするのですが、家にある分だけですでに200冊を超えました。図書館で借りたのや、出先で読んでやったのを含むともっともっと増えると思うのですが、先日はじめて「これはアカン」と、途中で読み聞かせをやめてしまった絵本がありました。
それが「象のババール」だったのです。
キャラクターは以前から知っていて、勝手に内容を想像していたのですが、呼んでみてびっくり。あまりに露骨すぎる帝国主義のプロパガンダ本でした。
密猟者に母親を殺されたババールが、逃げ惑ううちに街へたどり着き、第一声が「にんげんって ふくをきて すてきだなあ ぼくもひとつ あんなのを きてみたいもんだ」。この時点で?が頭を飛び回ります(その、街から来たヤツにお母さん殺されちゃったんだよ?ババール)が、さらに、金持ちのばあさんに拾われてババールは贅沢三昧、西欧式の教育も受けて、すっかり「文明社会」になじんだババールが、自動車にのって象の村に凱旋、どくきのこを食べて死んでしまった王様(こっちの王様は裸、他の象たちも裸)の後をついで(別にババールは王子ではありません)、王座に着きました。盛大なパーティ。めでたしめでたし。って、なんじゃそれ。
不可解も荒唐無稽も風刺も歓迎ですが、これはちょっとないんじゃないでしょうか。ババール恐るべし。
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デジタル・ヴァーチャルじゃなくても、リアル事業でもフリー化可能だというお話。
読みながら膨らんできた「リアル・フリー学習塾」妄想、もとい構想について、少し考えてたり調べたりしてみました。
例えばフランチャイズの学習塾(小学生向けだと学研とか公文など)のロイヤルティ収益比の高さなどにはちょっと驚きました。が、教材もらって、看板も借りて、ですからね。ゼロからの学習塾立ち上げを経験した身からいうと、「ブランドを買う・借りる」というのは相当虫のイイ発想でして、それぐらい取られて当然の話、ではあります。
しかし、FCはなんでもそうですが、「本部が儲けすぎ」感があるのは事実。本部が負担しているのは要するに、教材提供と集客支援(CM)ですから、これのコストをズンズンズンと圧縮して、先生の仕事もギリギリまでシステム任せにできる状態を作れれば・・・。
うーん、あり得るのかもしれない。以前の投稿で書いたように、家計に占める教育費の割合はかなりのものになっているので、こいつを何とかして、生活全般の充実に振り向けられれば・・・。いつか真剣に考えてみたい課題です。
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